「世に卑しい職業はなく、ただ卑しい人がいるのみである。」・・・アブラハム・リンカーン
「働くの意義とは?」と問われたときに、殆どの人はおそらく「生活するため」・・・言い換えれば「生きるため」と答えると思います。もちろん、私はそれを否定するつもりはないですし「働くのが生甲斐」という人もいると思います。ただ、「生きるために働く」と仮定するのであれば「働く内容」というのは、然程問題でもない気がします。
「なぜ自分がこの仕事をしているのか?」という命題にぶち当たった時に「食っていくため!」となると、仕事内容のことではなく賃金の話になるように思います。言い換えれば、私のような中年には多いと思いますが「自分にはこの仕事でしか稼げないからこの仕事でしか食っていけない。」という意味合いがメチャクチャ込められている気がします。
そこで、「本末転倒」の現象が起きます。私の考えは「人間は生きるために仕事をしますが、仕事をするために生きているわけではない!」ですが、「この仕事でしか食っていけないから、その仕事が自分の人生になり、仕事をするために生きる!」みたいな感じです・・・なんかスミマセン(・_・;)
結論的には日本は仕事をしなくても生きていける国です。「生活保護」がありますから。ただ・・・惨めに思ってしまう可能性はありますが・・・
「食っていくため」・・・言い換えれば「お金を稼ぐため」です。「食っていくため」・・・を違う表現にすると「生きていくため」です。であれば、「食っていく」=「お金を稼ぐ」=「生きていく」という図式が成り立ち、これらは同義語になるわけです。そこに・・・=「生活保護」があってもおかしくない気もします。
「生きる」ことは同じでも、「生き方」は千差万別です。大人になると「食べていくための仕事」という義務がもれなくついてきます。これは、人間に限らずです。そして類人猿が人間に進化した時も、その後の歴史も同じです。だから変えようがない・・・ただ、内容は自分次第で変えられますが・・・(*^_^*)なんてなんて💦
まあ、最近、仕事という事に関しての自分自身の選択権において、色々と考慮迷子になっている今日この頃でした(;一_一)