哲学ブログ

パターン化本能・・・決めつけからの思い込み・・・

「1つの例が、すべてに当てはまるという思い込み」・・・ハンス・ロスリング(FACT FULNES)

 FACT FULNESと言う本の第6章に、人間の本能の1つである「パターン化本能」と言う章にでてくる言葉です。人間が生み出した偉大な学問である数学や科学、化学等は様々な普遍的なパターンを見つけ出し、ここまで進化させたと言っても過言ではないと思います。私個人の考えですが、おそらく人間(ホモサピエンス)は、約7万年前に起こった第1の革命である「認知革命」によって、様々なものをパターン化するようになったのではないか?と考えています。

 もちろん、他の動物も単純なパターン化は考えられていると思います。昆虫なんかはある種のパターン化のみの繰り返しで生きている気もします。しかし、人間は複雑なパターンも発見し、その型を知り尽くしてはまた他の型も発見し、様々なパターンの組み合わせによる新たな組み合わせを仮説としながら研究等してきて、さらなる発見をしてきました。

 科学や化学、数学等の理系の学問なんかは特に新たなルールと言うかパターンを発見してきたことで進化してきた代表的な学問であり、また、パターンに忠実だからこそその答えは真理に成り得ます。文系で言うと、文法なんかもある種のパターンですね。調理でも理論がありますので、パターン化現象が起きます。

 そして、気付かないうちに私たちはすべてのことをパターン化できると思い込んでいると思います。そして、自分の思い込んだパターンにその出来事や人柄等を当てはめて物事を分析する癖がついてしまっているのではないか?と時折疑う事があります。パターン(Pattern)は訳すと、「類型、様式、型、模様」等となりますが、私的には「法則」のイメージが近いです。

 私達はは様々なパターンと言うか法則を覚えてきました。小学校の頃の算数や理科、国語なんかはある種のパターンを覚えれば高得点が取れます。そして分野によっても異なりますが・・・「慣性の法則」、「万有引力の法則」、「作用・反作用の法則」、「マーフィーの法則」、「メラビアンの法則」、「ハインリッヒの法則」、「返報性の法則」、「ランチェスターの法則」・・・ETC等、様々な法則を学びます。

 なので、すべてのことにパターン(法則)があるはず!と考えてしまい、世の中の出来事や、人間の性格、脳の作用なんかの作用機序に関しても不透明な部分もパターン化したがります。私自身もそのうちの一人です(^_^;)

 「だから何なん?」・・・と思う人も大勢いらっしゃると思います(;^_^A。ただ何が言いたいかと言うと、無理やりに自分の知っているパターン(法則)に当てはめたがる本能が、人間にはあるという事であり、その本能を時折疑わないと、人生がつまらなくなる要因の1つになるんじゃないかなぁ~という事です。

 また、言い換えるとパターンの考え方を「法則」と言う考え方と「傾向」と言う考え方との使い分けをした方が良いとも思います。ソクラテスの「無知の知」ではないですが、人間には個人個人の法則はあったとしても他人には100%理解するのは無理です・・・だって自分のパターン(法則)も自分で100%理解できないですもん(;'∀')他人のことや人間の心理的な事は「傾向」は分かっていても「当てはまる」と言うわけではないです。

 基本、自分のことも含めて人間の脳作用や心理作用はパターン通りにいかないことがむしろ当たり前だと思います。まあ、自分で自分の法則を熟知していて、それに当てはめて人生成功している人もいますが、多分・・・大半の人はそうではないと思います。基本的に人間ですが、自分のことも実は知らなかったり、他人においては「知っているつもり」の方が大半だと思います。

 人間の本能に「パターン化本能」があることは否めません。そのせいで決めつけてしまうという本能がさらに芽生えてしまいます。決めつけてしまうと、その相手に対する行動を自分の思い込みによって解釈してしまいます。その結果・・・まあ、あんまりいい人間関係は出来ませんよね( ̄▽ ̄;)

 「パターン化本能」→「決めつける」→「思い込み」みたいなことになるという事ですね。

 よく職場で「あの人は○○な人だから」なんてよく耳にしますが、実際その本人と話をすると、もちろん違う面もあることに気付きます。なんか、人間関係にもったいないことをしている気がしますさね。

 そして、自分の自己分析もパターン化してしまいすぎる為、「もったいない」と思うこともあります。「自分はこれしかできない」、「自分の性格はこうだから・・・」、「自分の今までの傾向で行くと・・・」なんてなんて、自己評価を厳密にすることは大事ですが、パターン化本能によって思い込んでいくと、自分の人生の変化と言うか夜会や組織にする対応すらも小さい枠にとどまる気がします!

 時折でも、自分が考えてしまうパターン化現象を「これは違うかも?」と批判的に思う事や、「数学的な事だけでは人間世界(社会)は説明できない!」、「自分は自分の考えているパターンから抜け出せるかも(;´・ω・)」・・・ETCと考えられる方が、多少なり下らない人生を面白くできる考慮方法だと思いますよさ( 一一)

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