哲学ブログ

プライド~矜持・我儘~

「見栄とプライドの意味をはき違えるな」・・・ブッタ
「本当に高いプライドは人を地道にさせる」・・・持田太(ちはやふる)


 「あの人はプライドが高い」といった時に、そのプライドという言葉をどう解釈するかで、印象は俄然変わる。そのプライドを「誇り」と捉えることと「信念」と捉える事、「わがまま」と捉えるで、大分意味合いが変わる。


 プライドという言葉はもともと「誇り」や「自尊心」等を表す言葉であるが、日本では和製英語としてよく使われるポピュラーな言葉である。しかし、プライドという言葉は今日では「わがまま」や「高飛車」と解釈されていることが多い気がする。わがままを英語にすると主に「selfish」が良く使われ、意味合いで気には「自分本位」や「利己的」等である。 「プライドが邪魔する。」という事をよく耳にするが、その際のプライドは、私的には「わがまま」と解釈している。言い換えれば「わがままな自分の考え方が邪魔する。」や「高飛車な自分が邪魔する」という事である。


 私自身は、仕事や人生、生き様等にプライドは持つべきだと思う。その際のプライドを訳すと、「矜持」や「誇り」、「信念」である。これらの言葉は、理論的ではなく感情的な言葉であるが、人間にとって、「その人がその人である」、言い換えれば「自分が自分である」為の、根本的原理の原動力になるからだ。それはまた、「わがまま」や「高飛車」とは異なる。


 現代では、プライドは見栄の為に使われている程度が低い言葉の1つである。しかし、「矜持」や「誇り」、「信念」などの言葉も古い言葉となり、あまり使われなくなったために、「わがまま」や「高飛車」もひっくるめて、プライドという和製英語で一括りにされているのである。


 そのせいかは分からないが、「矜持」や「誇り」、「信念」までも、現在ではプライドとして片付けられて、いらない考え方と思っている人が多い。なのに我を通そうとする風潮だけは残っている。個性主義という名目のもと等に・・・


 有名な「マズローの5段階欲求」というものがあり、人間の最上の欲求は「自己実現」であると説いている。その自己実現を支える根本思想は「矜持」や「誇り」、「信念」である。人間と動物を分ける1つの杓子が、これらの言葉で表されているのかもしれないとさえ思う。それを称してプライドである。


 「プライド=わがまま」と考える思想は、人生をつまらなくしている思想である。人は1人1人、十人十色のプライドがある。言い換えれば、十人十色の培ってきた人生に基づく考え方でもある。それは、本来「矜持」や「誇り」、「信念」である。そして、その様なプライドが、ある意味自分という自己を確立する根本原理の1つとなる。


 わがままや高飛車等のプライドは、人生をつまらなくするものである。しかし、自分が自分であるための、矜持や誇り、信念などは自己確立のため、人生にとって必要条件である。

 私自身は自己肯定感が低い人間である。だからこそ、自分の存在価値が分からない人間である。ただその中でも、自分の行動から、それなりの矜持を持つことで、下らない人生を少しでも面白く生きれるように努力はしている。

ジッポとたばこ
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