哲学ブログ

何の為に?~意味と理由~

「あなたの心が正しいと思うことをしなさい。どっっちにしたって批判されるのだから。」・・・エレノア・ルーズベルト

 「あなたは何の為に生きていますか?」or「あなたは誰の為に頑張っていますか?」・・・ETC。

 この類の質問に関して、明確に答えられる人って、意外に少ないんじゃないかなぁ~(-_-;)。なんて思ったりします。そもそも、「何かの為」って考える必要があるのか?なんて思います。「家族の為」、「企業の為」、「友人の為」、「恋人の為」・・・ETC。なんかの、「~為」と言う考えって、結構自分を窮屈にしている思想のように思います。

 もちろん、その思想は時として自分を奮い立たせ、120%以上の力を出す場合もあるくらい重要な意識だと思います。でも窮屈・・・(._.)。とも思います。

 私個人は、何をやるにしろ基本的に「自分の為」という考え方です。「家族の為になること」、「企業の為になること」等をすることを決断するのは自分であり、最終的に「自分がしたいからそうする」という、選択思想の根源は自分であるため、あまり「何(誰)の為に?」なんてことは思いません。細かく言えば思わないようにするようになり、その思想が習慣化した感じです。

 私が大学生時代、電車の椅子に座っていて(高校までは電車に乗ったことはあまりなかったです(^^;))、高齢者の方が立っていた時に、席を譲ろうと思ったのですが、「自分が周りの人に良い人と思われたいのか?」、「その高齢者に感謝されたいからなのか?」なんて自問自答して、結局席を譲れなかったことがありました。

 もちろん、その高齢者の為に席を譲ろうと思ったのですが、何割かは「自分が周りの人に良い人と思われたいのか?」、「その高齢者に感謝されたいからなのか?」とも思ったのも事実です。ただ「それでいいのか?」・・・なんて考えていて、最終的には「自分がしたいからする!」と言う発想になりました。

 ごちゃごちゃ考えて行動にでれないくらいなら、「自分の為」と思って行動した方が、スッキリするという境地に至りました。上記の例で言えば、「席に座れない高齢者の為」、「周りの人に良い人と思われたいかもしれない自分」、「その高齢者に感謝されたいかもしれない自分」等その他もろもろひっくるめて「自分の為」と思うようになりました。

 また、「何の為?」と考えると「楽しいから」、「気持ちがいいから」、「面白いから」・・・ETCと言うような、内面的な考えもあります。それももちろん大事です。ただ、ふとした時に、なんの行動をするにも「何かの為?」と考える癖が殆どの人間には時折あります。だからこそ「自分って何しているんだろう」と漠然とした悩みがでてきます。

 そこで思うのですが、たまには「何の為?」と考えた時に「なんとなく!」と言う考えや「そもそも理由がない」なんて考えも考慮の正解の選択にあってもいいのかなぁ・・・なんて思います。

 人間は意味を求めたがります。「生まれた意味」を考えてしまうのはその典型です。また、理由も求めたがります。「生きる理由」を求めたがるのもこの典型です。もちろん、そんなこと考えない人もいると思いますし、そんなことを考えていられるような境遇ではない人もいます。でも、考えてしまう人が多いと思います。

 私個人の考えでは、「もともと人間はそう言う進化を生き延びるためにしてきたから」という事と、「教育で常に問題と解答、その理由を求められてきたから」という事が原因にあると思います。常に意味と理由が世の中に必要に考えてしまうような教育を受けてきており、だからこそ「何の為?」と言う考えをし、時にはそれが自分の力になれば、時には考慮迷子になり無気力になることがあるんだと思います。

「自分は何の為に?」と考えた瞬間、その回答を自分で見出さないといけなくなります。回答を気にしないのであれば「?」は無いですから(^^;)。そこで、色々と自分なりに学べて自分の人生のプラスになるのであれば「悩むのも一興」になります。しかし、本来自分の人生でそこまで関係ないことで考慮迷子になると、「悩むことが人生の損」となる可能性が高いです。

 先日記載した「逃げるが勝ち?恥?」の記事ではないですが、時には思考的なめんでも「考えるのがめんどいから、何をするにも自分の為と思う」ことや「なんとなくという正解も持っておく」ことは、考慮放棄でなく、それも立派な考慮材料だと思います。「無正解も正解の1つ」みたいな考え方ですかね(;^_^A。そして、その考え方はストレスを減らします。

 ストレスの原因であるストレッサーは色んなことに起因しますが、人間関係が多いのも事実です。その中でも「他人の為に!」と言う考えで行動を起こしたときに、自分の思い通りの結果にならなかったり、見返りがなかった時にストレスを非常に感じると思います。しかし、「自分の為」と言う考えや「なんとなく」と言う考えで思い通りにならなかったり、見返りがなかったりしても、然程ストレスを感じなくなります・

 だって、人間関係で行動を起こすときに「自分が行動したかっただけ」、「なんとなく」と言う場合は、結果が思い通りにいかなくても、その他人に期待しないので、思い通りにいかなくてもそんなにストレスになりません。・・・ただ、まあ多少はあったりしますけど(^_^;)。

 時折、様々な行動や事象なんかを深く考えない事や理由を求めない事が出来る事も、世論的にあまり良いことではないのかもしれませんが、人生を面白く生きれる、考慮材料になるのかなぁ~なんて考えたりします(~_~;)

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yu-sinkai

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