哲学ブログ

寓話の教え~時代~

「余裕のあるときに将来を軽視してはいけない。明日あなたは今日無駄にしたものを必要とするかもしれないから。」・・・イソップ寓話「アリとキリギリス」

「自らを愉しむ事の出来ない人々は、しばしば他人を恨む」・・・イソップ


 寓話とは、出てくる登場する者を、擬人化し、比喩的に対象の擬人化した者の在り方を紹介し、その成功談や失敗談等をつくり、語り継ぐことで人間が生きるにあたり、何が大事なのかを悟らせるための物語である。寓話の「寓」という文字は「かこつける・ことよせる」ことを指すものであり、話により教訓や風刺をかこつけるものである。


 ちなみに、お伽話(おとぎはなし)は、「伽」という文字が貴人に仕えて退屈を慰めることを意味することから、もともと退屈しのぎを目的とした作り話であり、「寓話」のように教訓を意図したものではない。ただ、それなりに寓話の様に教訓になるものもある。「蜘蛛の糸」や「因幡の白兎」等の様に。


 イソップ寓話は、紀元前6世紀頃から語り継がれており、「アリとキリギリス」、「卑怯なコウモリ」、「北風と太陽」、「ウサギとカメ」等は、殆どの日本人もおなじみの寓話である。


 原作よりも、現代風にアレンジされてきた。例えば「アリとキリギリス」では、原作では、夏に遊んでいたキリギリスは冬になり食料がなくなり死ぬが、現代では、夏に働いていたアリが食料を分け与えて、キリギリスを助けるようになる。

 このような物語の変化は、時代により変わるが、「残酷でない様に」という変化が多い。例えば、「シンデレラ(灰かぶり)」では、シンデレラを虐めていたお姉さま方は、ガラスの靴を履くために、かかとを削ぎ落したり、足の指を切ったりし、最後にはカラスに目を突かれ失明する。

 「白雪姫」では、実は独リンゴを食べさせたのは「継母」ではなく「実母」であり、その実母は白雪姫の結婚式で、熱した鉄の靴を履かされ、死ぬまで踊り続ける。また、お伽話の「かちかち山」では、タヌキがおばあさんを殺し、おじいさんにおばあさんが原材料の鍋を食べさせた。まだまだ色々と昔話は残酷である。

 ただ、寓話もお伽話も、時代によって、残酷なところだけは変えられて語り継ぐようになる。「シンデレラ」はシンデレラを虐めいていたお姉さま方は、それなりの貴族と結婚し幸せになる。白雪姫の継母は許されるし、「かちかち山」では、おばあさんは死なず、タヌキも改心したという話になる。


 寓話とお伽話を混ぜたが、イソップ寓話も同様である。「アリとキリギリス」は、夏にキリギリスが音楽を楽しんだり、踊ったりしていて、アリはせっせと食料を運んでいた。冬になるとキリギリスは食料がなくなり死ぬが、アリは食料をためていたから生きられたという話である。

 しかし、現在ではアリがキリギリスに食料を与えて「今後はちゃんと働くよう」にと説教をして終わるらしい。食べていくだけに(生きていきためだけに)働く事の必要性を説く時代ならいいが、現在ではそうではない。

 現在に始まったことではないが、キリギリスのしている音楽や踊りなどの、いわゆる芸術的な遊びは、現在では「ビッグビジネス」である。「芸能人」≒「お金持ち」というイメージは、殆どの人が持っていると思う。「パレードの法則」を知っている人もいると思うが、2割のアリは働いていないと言われている(何らかには必要なんだろうが・・・)。

 科学的に働かないアリもいるという事が今では解る。要するに、先達の教えは大事だが、その教えは普遍的な事もあるかもしれないが、時代の変化によって解釈を個人個人で変えなければ、生き辛くなると私は考えている。

 「卑怯なコウモリ」の話でも、獣類と鳥類で、コウモリが獣類には、「おいらは牙があるから獣だよ・・・」と言い、鳥類には「おいらは羽があるから鳥だよ」みたいなことを言い、どっちの見方もした結果、獣類と鳥類が和解した時に、コウモリは追い出され、巣窟に住み、獣類も鳥類も寝ている夜中に活動するようになった。

 しかし、基本的にはそもそも喧嘩している獣類と鳥類が悪い。そして、政治や集団生活でも同様だが、コウモリの様に、必要に応じてどっちの味方もしながら様子を見ることも必要である。1概に、コウモリが卑怯とは私は思えない。

 要するに、子供の為に残酷な話をきれいに変えて、「めでたしめでたし」というのはいいのだが、それだけの解釈では、そもそもためにならないと思う。

 何故なら、時代によって生活は変わる。それは物質的な事だけでなく精神的面もあるからだ。

 確かに働く事は大事である。しかし、現代の人間は「生きるために働く」が、「働くために生きている」わけではない。また、自分の好きな事を仕事にしている人はいくらでもいる。対立している者同士の中で、どっちつかずでうまい距離をとることも人生必要である。

 先達の教えを守ることは大事な一面もあるが、現代との変化を比較し、変化させざる負えない解釈は、躊躇なく変化して、適応できる考え方を持った方が、面白い人生を送れる気はするのだが・・・

イソップ寓話(ウサギとカメ)
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