哲学ブログ

生きる意味~後世へ~

「我ら人はこの世に何かを残すために・・・生まれた。この世に自分の欠片を置いていくのだ。子孫・・・家・・・言葉・・・村・・・友・・・掟」・・・森 恒二(創世のタイガ)

 「創世のタイガ」と言う私の好きな漫画の言葉です(^_^;)。

 哲学の発症原因思想は

「世界はどうしてできたのか、また世界は何でできているのか?」

「人間はどこからきて何処へ行くのか、なんのために生きているのか?」

という疑問によって始まったと言っても過言ではないと思います。私自身は、「生きる意味や存在価値とは何ぞや?」みたいなことを悩み始めて、哲学に足を踏み入れました。まあ・・・哲学に挫折もしましたが(;´・ω・)。

 人間(サピエンス)は、様々なことに「意味」を持たせたがります。これは人間的な本能だと私自身は考えています。そして、多分ですが・・・死ぬまでに自分自身の何かを後世に残せれば、私自身は生きた意味を最後に実感できるような気がします。

 もちろん、そうでない人もいて、平知盛が「見べきほどのことは見つ」と言って死んだように、人生を自分なりに満喫したから死んでも後悔はないと言う人もいると思いますし、藤原道長のように「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたる ことも なしと思へば」と栄華繁栄時期を持ったとしても、最後は死が怖くて阿弥陀様に祈願する様な、死ぬこと自体が後悔(不安)のように思う人もいると思います。

 まあ、自分が実際死に際にならないと分からないと思いますが・・・「自分の人生に意味を持たせる」≒「自分の生きた意味を残すこと」みたいに考えてしまいます。もちろん、他人に迷惑をかけないようなことでですよさ。

 願わくば、自分の生きた意味を何かしらの形で後世に残したいなぁ~(/・ω・)/なんて、酔いながらそんなことを考えている今日この頃でした( ̄▽ ̄;)

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yu-sinkai

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